ノマド・スタディ考。 〜「いつでも・どこでも」学ぶことの陥穽とその対策②〜

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3,「いつでも・どこでも」

「いつでも・どこでも・だれでも」学べる、というのは法政大学 通信教育学部のスローガンである。法政大学は1947年、日本にいて最初の遠隔通信教育を実施する大学となった。
「いつでも」というのは、仕事や家事の合間が含意されている。「どこでも」とは大学所在地でない場所(田舎でも島嶼部でも海外でも)でも学習ができる、ということである。「だれでも」とは入学資格があるものなら専業の学生ではない者でも学べる、という意味である。
この3要素のうち、「いつでも・どこでも」学ぶということを「ノマド・スタディ」と呼ぶことが出来る。机や学校でなくても「いつでも・どこでも」学ぶことを、ドゥルーズ/ガタリの「ノマド」を用いて「ノマド・スタディ」と読んでいく。
「いつでも」とは、ノマド・スタディの場合、24時間どこでも空いている時間に学べるということが示唆され、「どこでも」とは自宅でも通勤電車の中でも喫茶店でも布団の中でも学べるということである。特定の場所で学習をするということではなく、場所性が限りなく消えて行く中での学習である。

逆に考えれば、ノマド・スタディの場合、常に学習を行うことが想定される。その象徴が「スキマ時間の活用」だ。信号待ちや電車内などの貴重な「スキマ時間」を、怠惰に過ごすことは想定されていない。

現代ではインターネットを利用したクラウド・コンピューティングの技術をもとにしたノマド・スタディも多く存在する。しかし、こういった技術ができる以前から、学習者は「いつでも・どこでも」という学習を行ってきていた。

象徴的な例は、受験生がよく使う「単語カード」ないし「情報カード」である。和田(1994)において、分からない問題・覚えるべき内容はカードに転写し、常に持ち歩いて「暗記」してしまうことが想定されている。また高島(2007ほか)においても同様の指摘がある。学習において「スキマ時間」は開拓される対象なのである。常に学習する態度が要求される。中谷彰宏は『大人のためのスピード勉強術』において〈ペンを自分の身辺にばら蒔いておくこと〉をアドバイスする。それはアイデアが降ってきたときにすぐに書き留めるため、であった。これは学習とは少し異なる可能性があるが、広い意味の知的生産ということになる。
現在、各種自己啓発系ハウトゥ本において、学習法に関するものが多く存在する。「耳から」の学習、「大人のための勉強法」と、多く挙げていくことができる。いずれも「いつでも・どこでも」学ぶ態度が賞賛されるものとなっている。

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