「取りたい資格」と東京大学教育学部物語。

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来年を迎えるにあたり、私が「取りたい!」資格をあげてみよう。

簿記3級……日本ノマド・エジュケーション協会の経理をつけないと。

心理カウンセラー系の資格(学校心理士など)……ひとつくらいは持っていたい。

特別支援教育関係の資格(特別支援学校教諭免許状など)……LDやアスペルガーなど、「発達障がい」について資格をもっていると、発言力が高まりそう。

社会調査士……社会学を大学院でやっていながら「取りそこねた」資格。学校で授業をする際、私は「統計」ネタを大量に使うので、その扱い方に根拠が必要かな、と思うため。

…こうして見ると、私は資格を持たないで生きてきたんだなあ、と思う。

私が持っているのは運転免許証(AT限定)と教員免許のみ。

教員免許だけは大学院に行った関係上、通常の1種よりちょっと価値の高い「専修」になっている。

・中学校社会科「専修」

・高校地理歴史科「専修」

・高校公民科「専修」

でも、世の学生は大学を出た時点で、私の持たない資格を多く持っている者がいる。工業系の高校だと、「危険物取扱者免状」などを持っている。

私が職場で会う福祉系の人たちは、当り前のように「ケアマネージャー」や「ホームヘルパー」などの多くの資格を持っている。

そういうことを考えると、私は素直に資格を持っている人を「尊敬」する。

でも、まあ、いいか。

東大のエピソードがあるし。

30年ほど前、東京大学教育学部内ではちょっとした「騒動」があった。

東大教育学部付属の中学・高校の校長を決める際の問題である。

慣例では東大教育学部の教授から、校長が選ばれる。

しかし、東大教育学部の教授で「選ばれる」資格のある人たちは誰も「教員免許」を持っていなかった。

あれこれ議論した結果、東大教育学部から校長になるべき人に「特別に」教員免許状を発行し、事無きを得たという。

資格を持たない私のような人間にとって、この東大の話を聞くと少し安心する。

下手な資格よりも、実績と「力」を持っていれば資格を超越できる。

資格のための勉強の「虚しさ」は大学受験で経験した。

だから、「もういいかな」と思ってしまうのである。

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