学校現場における「スティグマ」と「ラベリング」

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最近とみに「スティグマ」理論や「ラベリング理論」を思い返すことが多い。

 

それは、日常的にLDやADHD、高機能自閉症などという診断のついた生徒と関わる機会が多いことに由来している。

 

生徒の行動がゆっくりだったり、間違いが多いものだったりした場合、

「やっぱりADHDだからね」と教員は言ってしまう。

教員の「慣習行動」になっているのである。

 

しかし、教員のそういった「決め付け」は事実だろうか?

普通の高校生にとっても、難しい内容ではないのか?

こちらの説明が不足しているだけではないか?

そして自分の側を正当化しているだけではないのか?

 

教員のみる「日常」は、常日頃の「習慣」(ブルデューの言う「ハビトゥス」)的な行動の積み重ねで形成される。

 

特別支援教育的な実践を行う学校ほど、実は自己の「学習障害」観を強化するにとどまってしまっていることが多いのではないか。

こう思うことが最近多くなった。

 

懸命に特別支援のもとづく教育を行おうとすればするほど、逆にその生徒の「スティグマ」を強めたり、「学習障害」というラベルを強化するにとどまってしまう側面がある。

 

そのことに自覚的になっていくことが必要であろう。

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