「私」のいない世界

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 私が死んでも、この社会は残る。しかしそれを私は認識できない。おそらく、私がいなくなっても人類は存続するであろう。しかし「私」のいない世界を私が認識できない以上、そんなものに何の意味があろう?
 このような実存的問題を人間にもたらさないために、「子ども」という足枷を人間は持たされる。自分の死後に残るであろう「社会」の象徴が「子ども」である。
 

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