橋本治(2001)、『20世紀(下)』、ちくま文庫、2004。

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 日本の(そして人びとの)生きた「20世紀」を、各年ごとに見ていく書籍。年ごとの常識や認識枠ぐみのちがい(つまり当時の人びとの生活世界の変化)がなかなかに興味深い。例えば、京王線は1913年に開通するが、東京の郊外化が現実になるのは、つまり「通勤圏として開けるのは、1923年の関東大震災で都心部が壊滅してしまった後」(上137)なのである。1907年開通の渋谷ー玉川を繋ぐ玉電も、「これで玉川の砂利を運び、そのついでに人間も運んだ」(上138)ものであった。
 興味深い点を下から引用。

「「駅前にスーパーがある」と「不便ながらも」を一対の条件のようにして、日本人の住宅エリアは広がって行く。戦後の新しい生活スタイルは、スーパーマーケットと共に、かつての生活習慣を保ったままの住宅街から離れたところで確立された。」(下 80:「1958」)

「1969年に、「思想」はその役割を終えた。「思想」は「豊かさ」を作り、その豊かさの中で「思想」は不必要になった。1970年から始まるのは、「思想」を必要としない「大衆の時代」なのである。時代の中で生まれた「思想」は、まだ続く時間の中で古くなり、時代というものに追い越されて行った。それを自覚しない「思想」の信奉者は痙攣し、その責任と役割を「大衆」にバトンタッチした「思想」は、ゆっくりと終焉を迎えて行く。」(下148:「1969」)

 橋本治の本は幾つか読んでいるが、内田樹の本を一定数読んでから見てみると、内田の文体がいかに橋本の影響を受けているか、「なんとなく」(こういう書き方、ということです)分かってくる。
 他に1960年代が週刊誌の時代だった(1961年に週刊誌が17誌も増えた)ことなど、その時代に生きていない「若手」として非常に興味深い内容が多い本だった。
 本書には言及はないが、オイルショックを「産業構造の変化」で対応できた日本は1974-75年をマイナス成長にするだけで1992年のバブル崩壊まで常に右肩上がりの成長をしていたのであった。その分、大学と企業のつながりは深く、大学生の就職難は問題化しなかった。一方、オイルショックを乗り越えられなかったヨーロッパ各国は、そこから恒常的に若者(大学生含)の就職難が問題化することになった。日本はいわば欧州の認識と遅れて同調したわけだ。現在の日本の就職活動をめぐる問題を見ていると、どうも一国内に終始しており、「ヨーロッパもそうなのだ」という伝え方をしていない。他国に習う発想が、こと就職活動については行われていない。

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