ピエール・ブルデュー(1977):原山哲訳『資本主義のハビトゥス』、藤原書店、1993。

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 貨幣文化が導入・普及する等、「資本主義のハビトゥス」が人びとに共有されるようになる様子を、アルジュリアでのエスノグラフィーをもとにしてブルデューが描く書。「貨幣」制度が入ることで文化が貧しくなる傾向があるということをアルジュリアの例を通して語っているように見える。バタイユの「蕩尽」や「贈与」の議論を思いだす(『呪われた部分』)。実際、ブルデューは「反対給付」などの言葉を使っている。これ、バタイユが先かブルデューが先か…。まあ、どちらもモースの『贈与論』を元にしている点では同じである。

●序論 構造とハビトゥス

「経済的行為の主体は、ホモ・エコノミカスではなく、現実の人間なのであるが、その現実の人間は経済によってつくられているのである。」(11)

●第一章 単純再生産と周期的時間

 貨幣文化の普及により「人々は、それ自体では、なんの喜びももたらさない記号について、考えるようになるのだ。」(29)。つまり、貨幣という記号をありがたがるハビトゥスが形成されるのである。
 このハビトゥスは「時間」概念も変化させる。「前資本主義的経済が要請する時間の経験の特殊性は、つぎの点にある。つまり、その時間の経験は、いくつかのなかの選択された、ある一つの可能性として提示されるのではなく、その経済によって、唯一可能なものとして課せられるものなのである。」(36)。
 また「公平」の感覚も、資本主義のハビトゥスが入る以前と以後とでは変わってくる、とも指摘している。
 

「農民は、厳密な意味では、労働することはしない。彼は、労苦にたずさわるのだ。」(47)
「労働は、本来、目的ではないし、それ自体、徳であるわけでもない。価値あるとされているのは、経済的目的に志向した行為ではなく、活動そのもので、それが、経済的機能から独立し、社会的機能をもつかぎりにおいてなのである。」(48)

「時間的継起の組織化の原則は、性による分業を決定する原則と同じである」(54)
→イリイチのシャドウ・ワークの根拠でもある。

●第二章 矛盾する必然性と両義的行動

(ダニエル・ラーナーからの引用)
「近代社会によって発展する行動のモデルは、感情移入、すなわち、他者に応じて自己のシステム(self-system)をすばやく再組織する能力によって特徴づけられる。伝統的社会の孤立した共同体が、非常に拘束的なパーソナリティに基づいて機能していたのにたいして、近代社会の諸部分が相互依存しあう事態は、広範囲の参加を要求し、このような参加は、開放的で、適応的な自己のシステム、つまり、新たな役割を取り込み、個人的な価値を公共的な問題に一致させることができる自己のシステムを必要とする。このこと故に、社会の近代化は、われわれが心理的流動性とよぶ大きな心理的変化にかかわっていた。」(61)

「見せかけの仕事」(75)。それは「農民社会のように、その成員に労働を与える義務をそなえた社会、そして生産的ないしは営利的な労働を知らず、同時に、労働の稀少性も知らず、失業の意識もない社会、そういった社会では、なにかしたいと思う者には、つねにすべきことがあると考えられていて、また、労働は社会的義務とみなされ、怠惰は道徳的過失とみなされているのである。」(75)。貨幣経済が導入されると、前資本主義的ハビトゥスである「見せかけの仕事」を行う元農民が多く表れてくる。これが人びとの貧困・搾取にもつながってくる。
また、貨幣経済が浸透すると、前資本主義的な家族のあり方が崩れて来る点をブルデューは指摘する。
「測定でき、通訳できる貨幣収入の多様な道の出現は、家族の分裂の可能性をはらんでおり、家長の権威はおびやかされるのである。というのは、他の成員の服従は、衰退するのをやめず、各々の成員は、収入の自分の取り分を主張するようになるからである。」(81)。その結果、「大部分の場合、出費を取り決めたり、その他あらゆることを命令するという、家長の無条件的な権威は、終わりを遂げている。」(85)のである。
 このことは各人の自由の増大を保障することになるが、その反面「家族」や「一族」のあり方が変遷せざるを得なくなる。

●第三章 主観的願望と客観的チャンス

「下層プロレタリアは、教育や職業的資格の欠如―それらの欠如は、同時に、彼らの存在の欠如でもある―の責任が、また、システムにもあるのだという意識に到達することはないのである。」(107)

「要するに、完璧な疎外は、疎外の意識さえも抑止してしまうのだ。」(108)

「常勤の仕事と、規則的な給与が与えられてこそ、開かれた、合理的な時間についての意識が生まれるのである。行為、判断、願望は、生活設計とともに、組織化されるようになるのである。そうなってはじめて、革命的態度が、夢への逃避や、宿命論的なあきらめに取って代わるようになるのだ。」(109)

●第四章 経済的性向の変化のための経済的条件

「最下層の人々は、安定した職業、より厳密に言えば、きまった職業、および、それに到達するのに不可欠な職業的資格と学歴を願望しているのだ、ということを理解しなければならない。守衛、夜警、通信連絡係、監視人といった仕事は、彼らにとっては、「夢の職業」である。というのは、それらは、つらい仕事ではないし、また、学歴、職業教育、資本がなくても得られる仕事のなかで、最も確実な仕事であるからだ。」(123-124)

「よく言われるように、未来を持つ者は、未来を支配しようと企図出来る者なのだ。」(128)

・148頁あたりで述べられている、スラムからアパルトマンに移る話は、「都市化」をめぐる社会学の議論と同様の構図である。「スラム街の生き生きとした雰囲気は、集合住宅地の表面的で断片的な人間関係に取って代わる」(148)等のように。イリイチの「コモンズの消滅」をめぐる議論を思い起こす。
 都市的住居は費用がかかる。そのため「近代的住居は、近代的生活を可能にするものであるはずが、逆説的にも、近代的な生活に参画することに対する障害となるのである。」(140)

●結論 意識と無意識

「つまり、彼ら下層プロレタリアは、状況の真実を知らないが、その真実を実践しているのであり、言い換えれば、実践することにおいてのみ、その真実を語るのである。」(155)
→無自覚的な実践(プラチック)が構造を支え、再生産させる。

「そして、現在の状況に対する反逆が合理的で明示的な目的に方向づけれられるようになるには、目的についての合理的意識の形成のための経済的条件がなければならない。つまり、現在の秩序が、それ自体、自らの秩序の消滅の可能性を備えており、その秩序の消滅を企図することの出来る行為主体を生産しなければならないのである。」(157)

●縦走する社会学的実践 訳者解説にかえて

ブルデュー「伝統的な民俗学の方法は、充分なものではなかったので、私は、統計的手法と民俗学的方法とを、組み合わせて、研究しようとしたわけです。」(173)

その他雑記
・本書はやたら句点が入る。「訳者解説」の部分も、不必要な場所でくどいほど句点が入る。『日本語の作文技法』が必要だと思った。

・アルジェリアにすむ下層プロレタリアートの生活世界を事細かに描き、なおかつ統計的手法も用いるブルデューの研究の鮮やかさを見習いたい。

追記

 夢を見るのは子どもと〈現実的な夢を見られない〉大人のためのものであるようだ。本書ではアルジェリアの下層プロレタリアートが〈自分の子どもは弁護士か医者にしたい〉という「呪術的な願望」をしている旨が描かれている。「呪術的な願望は、未来をもたぬ人々に固有の未来なのだ。」(121)。この皮肉さが印象に残った。

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