若林幹夫(1995):『地図の想像力』、講談社選書メチエ。

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若林幹夫(1995):『地図の想像力』、講談社選書メチエ。

 地図が「発明」されたとき、人間の認識能力は大きく変わったのだろう。それは今ある世界が記号化=情報化されることであるからだ。空間を平面上に再現する営み。地図を持ち歩くとき、空間も持ち歩くことになる。本書を読み、そのようなことを考えた。
 地図という「客観的」に見えるメディアには、共同幻想が見せる恣意的なメッセージを伝える働きが存在している。

●序 帝国の地図

●第一章 社会の可視化

「地図という表現は、人間の歴史の中で様々な時代に、様々な場所で独自に「発明」されてきた。地図を作り、利用することは、人間の社会に相当に普遍的に見られる現象なのである。」(28)

「環境に対して自身が疎遠な「他者」であったり、ある環境に関する情報をその環境を知らない「他者」に伝達しようとする時に、地図的空間は現れるのである。」(38)
→地図を見るときは環境に対して自身が「他者」であるとき。馴染みの空間は「自己」になっている。いわば空間からの「疎外」を回復するために地図が必要とされるわけだ。

「重要なことは、地図という表現がそのような想像的な視点による空間の像を、実際に目に見える形で表現すること、したがって人びとは地図を媒介にしてこの想像的な視点から見た空間の像を、実際に取りうる視点から見た像であるかのごとき経験をするということだ。この意味で、地図的な視点が人間の経験に代補する世界の全域的なリアリティもまた、想像的であり、超越的である。」(42)
→ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』にも、国家の可視化という意味合いで地図が出ていた。

「そのようにして社会が可視化される時、「社会」という存在が湛えるリアリティは、個々の人間の個別的・局所的な経験を超えた超越的で想像的な位相、それゆえ他者と共有され伝達されることの可能な位相を内包している。地図を描き、それを通じて世界を見るという営みは、人間がけっして見晴らすことのできない世界の全域的なあり方を可視化する一つの方法、世界の空間的なあり方に関してそれを可視化し、了解し、その中に自己と他者とを位置づけようとする営みなのである。」(45)

「「科学的」で「客観的」な地図の存在を支えている「科学」や「客観」も、それが世界を記述し理解するための記号による意味の体系であるという点では「神話」や「主観」と変わりがないのだ。」(53)

「地図とは世界に関するテクストである」(54)

「社会や世界の全域的な広がりについて語り、思考する時、私たちはあたかも地図を見るかのようにしてそれを対象化し、思考し、言語化しているのである。」(59)

●第二章 拡張される世界

「帝国や文明圏という存在も、それらが地理的領域を覆うという事態も、結局のところ想像的な全域に関わる事柄としてのみ個々の人びとの了解の中に現れてくるということだ。そこでは、帝国や文明の地理的広がりは、そのような地理的広がりを概念・イメージとして生産し、流通させ、受け入れてゆく社会的な営みと相関することによってはじめて「真実」としての資格を得る。/言いかえれば、帝国や文明という社会は、そのような概念・イメージと相関し、それを支えうるシステムとして貢納や徴税、用役や教育、行政文書や経典等の関係や実践、地の体系を作り上げ、その中で帝国や文明に関するイメージを再生産してゆくのである。」(96)

「貨幣と測量とは、社会の構成要素を単一の指標によって通約的に把握し、それによって社会的な諸関係を交換可能な量からなるものとして組織するという、同一の精神を体現しているのである。」(104)

「測量する視点とはいわば「権力の眼」なのであり、この眼を通じて土地と社会との関係が「数量」として客体化され、客観化されて、一義的に確定されてゆくのである。」(106)

●第三章 近代的世界の「発見」

●第四章 国土の製作と国民の創出

●終章 地図としての社会 地図を超える社会

「近代的地図が「世界」として描き出す範域の拡張と正確な測定、そしてそれらの範域の領域国家による属領化は、領域的な主権国家と資本主義、そして近代的な科学技術という近代的な社会を支えるシステムの地球的な規模での展開と対応していた。それは、特定の様式をもった知、生産と流通、統治権力、およびそれに相関する身体技術や時間システム等の社会的諸関係を秩序づける諸様式の地球的な規模での普遍化=世界化、私たちが「近代」と呼ぶ社会の普遍化=世界化と対応していたのである。」(212)

●あとがき
「地図の歴史や文化史、地図的な表現をめぐる考察等を読んでいるうちに、「社会」と「空間」についてだけでなく、「社会という経験」そのものについても、地図という表現を触媒にして考えることができるのではないかという気がしてきたのである。」(255)

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