樫村愛子(2009):『臨床社会学ならこう考える 生き延びるための理論と実践』、青土社。

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・恒常性/再帰性というキーワードについて。
「精神分析が示しているのは、再帰性そのものが恒常性に常に依存しているということであり、恒常性を食いつぶしてしまえば、再帰性そのものが破綻してしまう。(…)それゆえネオリベ批判において、精神分析が掲げる、恒常性の必要性ついての議論が欠かせない。しかし一方、再帰性はギデンズの言うように近代の条件であり、セラピーも再帰的主体の契約によって行われるものであるので、再帰性という問題圏は外すことはできない。恒常性の復活(藤本注 これが新保守主義など)や手直しのために再帰性がむやみに抑圧される方法はよいわけではない。(…)それゆえ、再帰性と恒常性の関係をどう構成していくかが重要な課題となる」(21-22)

「ドラッグは少し前まで若者にとってマイナーな存在であった。しかし現在のフランスでは若者に広く浸透している。2002年の調査では、17-18歳の若者全体の50.9%がcannabis(大麻)の経験がある。teuf(注 フランスのメディア社会学者ダニョが調査した、飲んで騒ぐという若者の文化の隠語)では、みんながいろいろな酒やドラッグを試していて、比較的(注 「に」を入れた方がいいと思われる)その特質を語るのが議論の大きなテーマとなっている」(218)

・1910年代のアメリカにおける「教育の現代化」改革について。
「学校は企業と比較され教育者は「組織人」とみなされる。「学級運営」という発想はここから生まれ「教育管理」は教育の効率性の評価のために評価の数値化を要請する。アメリカの心理学者たち(ビネー等)が知能テストや学力評価尺度を開発していったのはこのような歴史的背景のもとでである」(287)

「デューイ的公共哲学観に依拠するジルー(1992)は、公共性を他者に対する積極的な関与を意味するものと考えるが、ここでさらに現代的状況からいえば公共性は社会が個人化し社会が解体する時代において個人と社会の間の「mediation(媒介領域)」として設定することができるだろう。「mediation(媒介領域)」とはその中での自由なやりとりや思考錯誤を可能にするものであり、現実との関係をいったん留保しながらそれを考察し作っていく、先の幻想空間でもある」(294)

「文化がmediationの場となり社会的介入が個別的になされるような社会とは基本的に一定の水準以上の再帰的な個人(次に見る「人間資本」)を前提としているわけであり、その水準に満たない人々にはますます無意識的欲望の暴走とその困難が予想されるだろう」(301)

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